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子が観たい観たいと言ってた『モアナと伝説の海』。 最寄りの映画館がつねに満席で、なかなか観られなかったんですけど、5月なかばで上映打ち切りとわかったので、GWにやっと観てきました。 いやー、おもしろかった。映画館で観てよかった! CG、音楽、設定とストーリー、どれもディズニーの底力見たって感じです。 なにがグサリときたかって、この映画ってモアナの旅立ちを描くと同時に、モアナの両親が娘を手放すことを描いた話でもあるんですよね。かあちゃんとしては、どうしてもそこに目がいっちゃう。 豊かな島で愛されて育ったモアナが、両親の制止を振り切って荒れた海原へこぎ出していく。 ストーリー上は島を守るためという名目ですが、それはただのタイミングであって、モアナは幼いころから外の世界に憧れていたわけで。そしてモアナの祖先たちも、故郷を離れ、未知の島へと旅立っていった。それって人間の本能なんでしょうか。どんなに幸せに思える(見える)場所でも、ひとところにとどまっていたら幸せじゃなくなる。人間って非効率的な生きものですねえ。 で、そういう非効率的な情熱に対して、「危ないとこ行かないの、ここが安全安心なんだから!」と引き留めるのが親の本能。子どもが辛い目にあったら、怪我したら、死んじゃったらたいへんだと。 しかもモアナの父ちゃんは、自分が飛び出したときに痛い目に遭った経験があるから、なおさら心配する。でも一方で、いつまでも引き留めてはおけないとわかってる。わかってるんだけど、手放すタイミングを図るのは難しい。大怪我したらどうすんの? 死んだらどうすんの? なので物語の冒頭、モアナが島を飛び出すシーンは、いきなりのハイライトでありました。「行け」とも「行くな」とも言えない親心、グッときたわー。 ……という話をダンナさんとしてたら、父ちゃんは父ちゃんとして思うところがあったようです。 ダンナさんいわく「あの父ちゃんが子を引き留める理由の7割が、『危ないから行くな』だな」。 あとの3割が何かっていうと、『オレのできなかったことが、おまえにできるわけない』という思いじゃないかと。 「だって赤ちゃんのころはリアルに守らないと死んじゃう存在だったわけじゃん。その子が自分が追い越した瞬間っていうのは、なかなか認めるの難しいかもしんない」。 なるほどねー、と思いました。その発想はなかった。父親と母親の違い、そのへんもさりげなく描かれてたかもしれない。モアナやるな。 吹替版を観ましたが、モアナ役の屋比久知奈ちゃん、よかったなあ。ハキハキした発声がディズニーというよりジブリっぽい感じがしたけど、物語にあってると思いました。 あと、ROLLYの歌うグラムロック調の「シャイニー」は超好み。エコーの効かせ方が、原曲より雰囲気あると思うんですけど。この1曲でごはん何杯もいけます。 #
by reiko.tsuzura
| 2017-05-08 18:54
| 映画
![]() 終盤は、母・すみれと娘・さくらの関係が話の軸になってました。が、これについては私、言いたいことがある。あるんだから! うちも娘なもんで、最近、母娘の物語に興味を惹かれます。世の中にはどんな母娘関係があるのか知りたいし、今後なんかのヒントになればっていう気分で、つい観ちゃう。NHKドラマ「お母さん、娘をやめていいですか?」も観てるし、先日は篠原涼子主演でリメイクしたスペシャルドラマ「愛を乞うひと」も観て、虐待シーンにヒィィィ…ってなりました。 「べっぴんさん」のヒロインすみれは、自分の気持ちを言葉にするのが苦手な人。「なんか…なんかな…」と言いよどみながら、やることやって結果出すっていう仕事人です。娘が幼いうちは、仕事と子育ての狭間で悩みながらも、お手伝いさんの手も借りて激動の時代を生き抜く、という朝ドラっぽい話でした。 しかし、娘さくらがお年頃になってからのすみれは……。仕事に邁進し、自分の娘をよくできた子と決めつけ、娘が反抗したら狼狽し、頭ごなしに説教する。家を出た娘に「お母さん仕事辞めたらいい?でもそれはあなたのただのワガママよ」って言ったときは、さすがにすげえって思いました。この母親とはわかりあえないでしょ……。 もちろん、すみれがダメな母親であることはいいんですよ。むしろこっちは、どこかしらダメな母親の物語が観たいんです。そこで起きる出来事や気持ちに興味があるから。 だいたい仕事と子育ての狭間で、なんの葛藤もなく「いいお母さん」できてる人なんて、いないんじゃないでしょうか。そんなの勘違いか、主婦ファッション誌が作り出すファンタジーと思います。だから物語を通して見たいんです、その壁をどう乗り越えるかを。あるいは、どうやり損なうかを。 でも「べっぴんさん」は、そこのところの描写がスコーンと抜け落ちてました。周囲でいざこざあるうちに、さくらが母親の仕事ぶりを見て「お母さんすごい…」みたいになって、なんとなく「親に感謝」みたいな流れ。いやそれダメでしょ、大人になってからこじらすパターンでしょ。さくら、もうちょっとグレとこうよ!! 思い返せば「カーネーション」の小原糸子も、「あさが来た」の今井あさも、どこかしらダメな働く母ちゃんでした。糸子の娘たちは破天荒な母を糧にして逞しく育ったし、あさの娘は母と真逆のお嬢さま道を行った。「あまちゃん」の母娘は精神年齢が近くて、母が娘に反発するっていう図式がおもしろかった。いずれも母娘関係においては「なるほどなあ」って思えました。けど、「べっぴんさん」は本当に最後まで、母娘の関係を通して何を言いたいのかわからなかった。「まれ」級にモヤってた。 もしかして、さくらの姿を通して描かれたものって、「母の背を見て娘は育つ」だったんでしょうか。だとしたら怖いなあと思います。それは母サイドの願望でしかないから。そんな話を違和感なく飲み込んでしまったら、私はきっとこれからの子育てにおいて、いろんなものを見逃すだろうっていう危機感があります。 仕事と子育てをやってる母親って、もっといろんな欲が渦巻いてたり、やるせない気持ちで悶々としてたり、そんなこんなで頭パツパツになって心のスイッチオフにしてたりするんじゃないかなあ。 ……まあこんだけ思うことあったから、観た意味あったのかな(まだ終わってないけど)。 私にとって「べっぴんさん」でもっとも魅力的だったのは、世武裕子さんの劇伴でした。とくに穏やかなシーンで流れるストリングス主体の曲や、賛美歌風のコーラス曲は、物語より心を動かされた。それも意識的に耳を傾けなきゃいけないほど控えめな存在感で、 あくまでも脇役に徹する立ち位置が上品でステキでした。なので物語を見ながらモヤったときは、いつも音楽に耳を傾けてました。 で、下記の記事で知ったんですが、世武さん、ガブリエル・ヤレドに師事してたってマジですか! 私、ガブリエル・ヤレドの手がけた『ベティ・ブルー』や『愛人/ラマン』、『青い夢の女』のサントラを何度聴いたことか……! とくに『ベティ・ブルー』の劇中でベティが弾く「C'est Le Vent, Betty」の不協和音は、世界でいちばんきれいな不協音だと思ってます。シ♭ の鍵盤を押すだけで、あんなにロマンチックな響きになるのって、まるで魔法だと思う。 世武さんはガブリエル・ヤレドのイズムを受け継いでるのかあ。すごいなあ、なるほどなあ。 ……っていう発見もあったから、やっぱ観た意味あったのかな(アゲイン)。 #
by reiko.tsuzura
| 2017-02-22 14:37
| つれづれ
![]() 日食さんの新作『逆鱗マニア』、アレンジに創意工夫が凝らされていてすごいなあと思ったんですが、それはレビューに書いたので、ここでは母ちゃん目線で思うことを。 アルバムの最後に収録された「あのデパート」。彼女の地元・岩手県花巻市にあったマルカン百貨店の閉店をテーマにした曲で、去年の夏頃にマルカン百貨店を映したミュージックビデオが公開されたのを観ました。 日食さんが子ども時代から現在までの視点でマルカン百貨店を描写した歌なんですが、何度聴いても「うっ」ってなるフレーズがあるんですよね。 それがここ。 大人になっても自分の車で たまにでかけた小さなデパート 子どものころの日食さんにとってマルカン百貨店は、特別な場所だった。そして、大人になってそこは「片道15分の場所」だと気づいた。 それは世間でいう「成長」ってやつなんでしょう。 でもいま5歳を育てる身からすると、特別な場所が「片道15分の場所」だって気づくことは、すごくやるせないというか、胸が痛むようなことでもあって。 子どもって、どうやら大人とは全然違う世界を見てるっぽいんですよね。まず単純に視点の高さが違うっていうのがあります。ときどきその低い視点から見慣れたものを見ると、こりゃパラレルワールドだと思う。 あと、現実とイメージの境界線も大人とは全然違うところにある。うちの子も0歳のころから、いわゆるイマジナリー・フレンドがばっちり存在してました。名前は「アビオ」。最近めっきり話を聞かなくなったけど、どこいっちゃったのかなー、アビオ。 大人になって、子ができて、よくわかったのは、大人だからものがよく見えるわけじゃないってこと。 自分が大人になるなかで、成長っていうのは、少しずつ広い視点を持てるようになることだと思ってました。そうやって大人になるんだと。でも大人になったけど、見えてないものがいっぱいありすぎ。子どもに質問されて答えられないことが山ほどありすぎ。 たぶん、子どもと大人の視点は全然違うんです。子どもには大人が見えないものが見えてる。見えないもの、知らないことがいっぱいあるからこそ、見えるものがたくさんあるっぽい。 だから大人の視点を持つということは、子どもの視点をなくすってことでもあると思います。しかもけっこう大事な、特殊能力をなくすって感じ。子どもを見てると、やばい、その特殊能力なくさないで!って思うことが多々あります。 日食さんが「あのデパート」で歌ってるのも、そういう焦りじゃないかと思うんですよね。「やばい、だいじなものをなくしそう!」っていう焦り。 しかも日食さんは、今まさになくすことを実感してる当事者だから、必死さがハンパない。 この記事にある日食さん自身のコメントからも、そういう思いが伝わってきます。 日食さんにとって、マルカンデパートがなくなるのは、そこで育っていった自分の時間とか、ある時期の自分そのものをなくすことなのかもしれない。 日食さんの歌声もいい。素通りできない声で、生々しくて、なんというか中島みゆき感、あります。 以前の自分なら「あのデパート」は、ノスタルジックな曲だなーと思ってた気がします。「懐かしい場所、あるよねー」みたいな。でも今はこれ、「大事なものがなくなっちゃう!!」って、すごい形相で手を伸ばす人の歌に聞こえます。 というか、日食さんの歌はどれもそういうふうに聞こえる。 「神様お願い抑えきれない衝動がいつまでも抑えきれないままでありますように」という曲の歌い出しとかね。 愛など顧みない振り切って君は前へゆけよ なんてね。こんなこと、子どもに言ってやれたらと思いますね。いやでも、これを言うのは勇気いるな! #
by reiko.tsuzura
| 2017-01-27 13:54
| 音楽
![]() いま5歳なので、あと10年も経てば思春期まっただ中かあ、と思ったり。 自分の思春期を振り返ってみると、中学時代がいちばんキツかったなあ。特別いじめたり、いじめられたりとかヒドい目にあった記憶はないんですが、それでもなんかキツかった。 吉澤嘉代子さんの歌を聴くと、そのころの感覚を思い出します。 わかりやすいところでは、アルバム『箒星図鑑』収録の「なかよしグルーヴ」。女子の「たのしいくるしいおともだち」関係を歌った曲。あー、あったなあ。昨日は親友で、今日はガン無視みたいなこと、たくさんあった。 そういう残酷なおともだち関係を、「他人の関係」みたいなキメキメの歌謡曲にした歌なんですけどね。悪口ひとつでガーッと仲が深まっていく(ような気がした)あの感覚を“グルーヴ”って捉えるとヒヤッとします。ろくでもないグルーヴだった、あれは。 すごく共感したのが、『東京絶景』収録の「ひょうひょう」。スナフキンみたいにひょうひょうとしていたいのに、できない!わたし、かっこうわるい!っていう歌です。自信がなくて不安定で、突然人を嫌ったり嫌われたりする10代のころ、私もそう思ってた、思ってたよー! この曲で吉澤さんは淡々と歌ってるんだけど、Cメロ開けのサビで「ひょうひょうとしたい していたい したいの!」って急にたたみかけるのがうまい。言うこととやることとが裏腹になってイーッとなるあの感じ、わかるよね~(いまも若干)。 『東京絶景』の「ジャイアンみたい」も好きです。 「あなたはわたしの物だけど わたしはわたしのものだ」と思っちゃって、失敗した恋を歌った曲。歌詞を見ると、あなたは「わたしの物」、わたしは「わたしのもの」って書き分けてるのが鋭い。「下手っぴなギターを掻き鳴らして つくりたての歌をきかせた」というフレーズがあるから、吉澤さんの実体験も入ってるのかな。ジャイアンの名言と独りよがりの歌を自分に重ねて、相当イタいところを突いた曲じゃないでしょうか。 でも、このジャイアニズムは、私も確かに持ってました。恋愛に限らず友情でも。「わたし」の範疇がどこからどこまでか、わかってなかったんだよね。だから「お前のモノは俺のモノ」と思って相手のテリトリーに踏み込んで、突然去られるっていうイタい思い出があるある。 しかもこの曲、せつないメロディのバラードで染みるんですよね。サビは「わたし ジャイアンみたい」なのにね。 吉澤さんはそんな思春期の痛々しさを歌うのが上手。こんな傷を、うちの子もそのうち多かれ少なかれ負うんだなあと思うと胸がキュッとします。 だけど吉澤さんの歌って、すごくかわいいんですよね。自作自演だから生々しくなりそうなんだけど、一歩引いて演じてる感がある。声がかわいくて歌い方もアイドルっぽいときがあるし、コミカルだったり、少女マンガチックだったりする曲もたくさんあるから、ドロっとしてない。 きっとそれは、歌ってるのが、20代なかばの吉澤さんだからでしょうね。10代のころの感覚をぎりぎりナマっぽく思い出せて、なおかつ10代のころの自分を深く思ってるっていう。キツい思い出も美化せずキツいまま、成仏させてあげようとしてる感じがします。30代になったら、それはもうできないかもしれない。 思春期って痛々しかったり、バカっぽかったりするんだけど、かわいい時期でもある。っていうことを、吉澤さんの歌を聴いてると実感します。そう思うと、女子の親としてはちょっと気が軽くなるというか、楽しみになる。 まあ「かわいい」だなんて、自分がもう当事者じゃないから言えるんだろうけど。終わったと思ったことが、子を通してもういちどやってくる日が来るっていう経験はなんだか不思議ね~。とか思ってる母ちゃんに、吉澤嘉代子さんの歌は響くのです。 ↑この「東京絶景」も名曲。曽我部さんとデュエットしてるバージョンが、また染みる…。 #
by reiko.tsuzura
| 2017-01-11 11:55
| 音楽
明けましておめでとうございます。 新しい年の初めに、2016年を振り返ってみたいと思います。 2016年は私にとって区切りの年だったような気がします。 子が5歳になりました。フジロックが20周年を迎えました。 年の始めにデヴィッド・ボウイが旅立ちました。プリンスが、BOOM BOOM SATELLITESの川島さんが旅立っていきました。 そして、THE YELLOW MONKEYがまさかの再始動。これが私の中ですっごく大きなきっかけになりました。 イエローモンキーは10代のころ大好きだったバンド。アイデンティティ的なものがグンニャリしていて、好きなものに自分を120%重ねて、自分と世間の境も曖昧で、そんな時期に夢中になったバンド。 もしもあのころイエローモンキーと出会ってなければ、あれほど強烈に何かを好きだと思うことがなければ、私はこういう人生を送らなかったとはっきり言えます。人生は1回なので、出会わなかった人生がいいものなのか悪いものなのか、想像すらつかないけど。 でも去年の1月8日に再始動のニュースを見た瞬間は「……なんも言えねえ!!!」って気持ちでした。うれしいのか、ムカつくのか、それすらも自分でわかんなかった。ツアーのチケット取ったけど、見ないように考えないようにしてました。おかげで日にちを間違えかけた! チケットはツアー初日が取れず、2日目に行くことになってたので、初日は冒頭1曲目だけのネット生中継を家のパソコンで観ました。見終わって「……なんも言えねえ!!!」の気持ちがなんかフツフツと揺らいできて、それから寝て起きてライヴに行く日、突然仕事ほっぽってFacebookに書き込みを始めました。なんかこう、言いたいことが漏れ出てきたって感じで。誰かに聞いてほしいけど、適当な誰かが思いつかないし(聞かされても確実に困ると思う)、でも漏れ出てきちゃうし。じゃあちょうど開いてたFacebookに書くか、と。 思えば10代のころは日々そういう気持ちで、ノートやそのへんの紙に書き殴ってたなあと思いながら。 話は変わって大学3年、21歳の秋、私は音楽評論家・小野島大先生のライター講座に通い始めました。池袋のコミュニティカレッジでやってるのをたまたま見つけたんですが、当時私は小野島先生を知らなかったし、「ミュージック・マガジン」を読んだことすらなかった(「ROCKIN'ON JAPAN」読んでた)。「えー音楽ライターに会えるってすごくなーい!?」っていう思いだけで飛び込んだのでした。当時(1999年)はSNSもないし、音楽ライターって基本、雑誌の文字でしか知り得ない存在だったので(小野島先生はサイトも開設されてたけど)。音楽ライターってどんな人なんだろう、革ジャン着てたらどうしよう!とかいろいろ想像して、教室に現れた先生を見て「パーカーだ……」と思ったのをよく覚えてます(笑)。 最初の講義では、「ここにはプロのライターになりたい人も、趣味で書いていきたい人もいると思いますが、いずれにしても音楽について書けるようになるのは楽しいですよ」っていう話を聞きました。 その後、大学3年で就活中だった私は小野島先生にソニー・マガジンズという出版社を紹介していただき、編集とライティングを学びました。大学4年の6月からバイトとして働き始めて、出産する32歳(2011年)まで在籍しました。それからは完全フリーランスで、なんとか細々とやってます。 そして2016年5月。頭から漏れ出たことを書き殴ってた学生時代から気分はほとんど変わってないんだけど、もうアラフォー。……と思いながら37歳の私はイエローモンキーにまつわるあれこれを書いてました。そんでライヴ観て感想を書きながら、あれっ?と思った。前より書ける。10代のときには書けなかったことが。えっ何これ、楽しい、超楽しいんですけど! ここで先生の「音楽について書けるようになるのは楽しいですよ」って言葉を思い出しました。 先生、なんかちょっとわかりました! 音楽について書けるようになるのって、楽しいです!!! この「楽しい」が私の中のスイッチをバチーンと入れてくれた感じがします。それから、いろんなことが急に楽しくなった。仕事に限らず、趣味も子育ても主婦業も。不思議なもんで、どれも言葉にすると少しずつ何かが見えてくる。 教わったことって、時間差で頭にすーっと入ってくることがあるんですね。ずっと聴いてた曲の魅力を新しく発見するみたいにね。 2016年の年末には小野島さんの還暦お祝いパーティもあり、講座で出会った人たちや、いま先生の講座に通っている人たちと話をする機会があって、これまた楽しかったです。うん、2016年はすごく楽しい年だった。 そういうわけで何年も放置していたこのブログも、少しずつ動かしていこうと思います。「意味がある・ない」とか「読んでくれる人がいる・いない」はひとまず置いといて、書きたいことは書いたほうがいいし、伝えたいことは伝えたほうがいいと思ったから。そのほうが楽しいから。 そのきっかけになった2016年5月12日~13日のFacebookの書き込みを、自分のためにここにも残しておこうと思います。「逃げ恥」最終回でみくりちゃんが言ったセリフ「いつだって、また火曜日から始めよう」風にいうと、「いつだって、また5月12日から始めよう」。そんな気持ちです。 #
by reiko.tsuzura
| 2017-01-06 16:52
| 音楽
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