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最近観たい映画がいっぱいあって困ります。どうしても劇場で観たいのが、『永い言い訳』と『この世界の片隅に』。あ、『君の名は。』も観てません。子どもがいると、映画に行く時間がいまいち取れないんですよねえ。今我が家でいちばん観るべき映画はプリキュア。先日ダンナさんと子が連れだって観に行きました。 そんなわけで『永い言い訳』、まだ観られてないんですけど、ネットでよんだ西川美和監督のインタビューが心に残ったので書いてます。 西川美和さんが書いた『永い言い訳』の小説は、おすすめされて読みました。妻を事故で亡くしたのに、一滴の涙も流せない男の物語。すごくおもしろかった。 話の中心にいるのは、ふたりの男と、ふたりの子ども。じつは私、子どもを産んでからここ5年の大きな変化として、子どもにまつわる悲しい物語がまるでダメになってしまったんですよ。物語に子どもが出てきて、ひどい目にあったり悲しい思いをしてると、グワーッと視点がそっちに持っていかれて、ストーリーを追うどころじゃなくなる。映画もドラマも小説も全部そう。これってなんなんすかね。謎の体質変化って感じでちょっと困ってるんですけど。 まあその話は置いといて、『永い言い訳』にもお母さんを亡くした子どもたちが出てきます。読んでて「あっ、これはヤバイ」と思いました。が、不思議なことに最後まで子どもたちのシーンに引っ張られず、物語に没頭することができました。出産後、初の体験です。西川さんの物語を綴る力は、それほど強い。 どうして西川さんはそんな物語を作りだせるのか、答えはこのインタビューにも隠れてるような気がします。 インタビューで語られているひとつのテーマが、「子がいる人/いない人の生き方」。このテーマだと、角田光代さんの『対岸の彼女』がパッと浮かびますね。私も子を産んで、子のいる世界=反対側の岸に渡ってしまった感覚が、ハッキリとあります。 子どもを産んだ友だちが「子どもが子どもが」って言いだして、子のない人が距離を感じることって、よくあると思うんです。私も子どもを産む前はそうだった。 で、自分で子どもを産んで、「子どもが子どもが」言う気持ちがよくわかった。単純に子ども以外の時間がほとんどないからですよ。もちろん楽しみも多々あるし、かわいいとか自慢したいとかっていうのもあるけど、とにかく24時間が子どもに乗っ取られるので、口を開くと「子どもが子どもが」と言ってしまう。最初はそんな自分に違和感を感じて「私、子どもが子どもが言ってる……」と少し後ろめたく思ったもんですが、5年も経てばそんな自分にも慣れ、なんかもう堂々と「この世でいちばん大事なのは子どもでしょ。子どもを優先すべきでしょ。子ども大切にしなきゃ未来もないでしょ」と言ってます。 だけど一方で、そんなことを迷いなく言いきる自分に後ろめたさを感じることもあります。 だって子どもを産む前、そんなこと考えたこともなかったじゃん私、って思う。もともと子どもカワイ~!とか思うタイプじゃなかったし、子どもという存在にあんまり興味がなかったし。それが急に手のひら返したように「子どもがこの世でいちばん大事」ってねえ、身勝手じゃない? 一方、西川さんは逆の立場で(“対岸”で)、「子どもがいないまま生きてきた、都心で暮らす中年」の後ろめたさを語っている。その気持ちはもはや私にはわからない。けど、これってかなり話しにくいことだろうなと思います。そして、終盤の言葉を読んで、「えっ」と思ったので、ちょっと長いけど引用します。 西川:この映画を作る中で、すごく救われたことがあります。事前の取材で、小さい子どもがいる友人のお宅を何軒か泊まり歩いたんです。彼らがどんな生活をしているのか、そこに放り込まれると自分はどういうふうに感じるのかを体験するのが目的でしたが、他人の子でも一緒にいると楽しいんですよ。もちろん、親の愛情とは質が違いますし、親のような責任感も持ってない。でも、そうしながら、子どもって、みんなでもっと穏やかに育てちゃいけないのかな、って思ったんです。そのために社会のシステムをどう変えるかという策は私にはないですが、親だけ、学校だけが責任を取るのではなく、もう少し他の人に明け渡して育てられないのかな?って。 絶対わかりあえないと思ってた『対岸の彼女』が、急にサイン送ってきたような気がしてビックリしました。「えっ、いいの?」って思う。だって実は私も、同じこと思ってたんですよ。「みんなでもっと穏やかに育てちゃいけないのかな」って。 話はそれますが、最近こんなことがありました。 保育園から帰ってきた子どもが胃腸炎になって、家でレロレロ吐き出したんですよ。その日は夜から保護者会で、子どもを連れて行く予定だったんだけど、家を出られなくなったので保育園のクラスLINEに連絡して、とりあえず看病することになりました。子はジュース飲んでも水飲んでも、ピューッと吐く。料理用のボウルにとっかえひっかえ吐かせながら、こりゃー脱水症状がヤバいなと思いました。でもOS1のストックがない。こんな日に限ってダンナさんは出張で帰らない。あー、どうしよう、ママ友に保護者会帰りに買ってきてもらおうかなー、いやなんとかなるかなー、とか思いながらボウルを洗う、そして子が吐くのループ。ママ友に頼むにしても、もう保護者会が終わって家に帰っちゃってたら悪いしなー、とか思ってる間に、ママ友LINEがピローンと鳴って、「今日配布された資料、ポストに入れといたよー」と連絡が。あーしまった、寄ってもらえるんなら、やっぱOS1頼めばよかったー、と思ったりして。 子が吐くのはその日の夜に収まって、大事には至りませんでした。でも、「あ、ヤバい、ちょっと手伝ってもらえないかな」っていう瞬間に、声を上げるのって意外と難しいんだなと思いました。たぶんこのことをママ友に言ったら「ヤダ!言ってよ!!」って言ってくれると思います。私も逆の立場なら、そう言うし。でも、意外と言えないもんなんですよ、「ヘルプ」って一言が。「うちのことに他人を巻き込んだら悪いかな」って、つい思っちゃう。 でも、子育てって、そうもいかないことが結構ある。そんなとき、西川さんのような『対岸の彼女』が、「もう少し他の人に明け渡して育てられないのかな?って」と言ってくれることが、どんなに心強いか。 もちろんこっちも、よーし頼ろうとは思ってないですよ。そして、向こうも「頼ってきたときにさ、こっちがうまくやれると思わないでよ。子育てしたことないんだし」と思ってるでしょう。『永い言い訳』の主人公は、まさにそんな感じの人だった。半人前の大人として、すごく中途半端に、無責任に子どもと関わる。でも、それでいいんですよ。いや、それがいいんです。子育てって、誰かにほんの一部分だけシェアしてもらえると、すごくラクになれるから。少なくとも私にとっては。 子がいる人もいない人も、もしうちの子どもと触れあう機会があったら、「ちょっと話してみっか」と思ってくれたらうれしい。「子どもってよくわかんねーし」という人がいたら、そういう人とも触れあってほしいと思う。「タバコやめられなくてさ~」みたいな話でもいいです。話してみて「やっぱ子どもとはコミュニケーションできねーな」と思っても大丈夫、親の私も半分くらいしかコミュニケーションできてないので(笑)。子どもってそんなもんです。 自分としては、子どもを育てるなかで、「ごめん頼らせて」「ちょっと頼ってよ」という言葉を、もうちょっと軽く言えるようになれたらなと思います。それって意外と、意識的に変えていかなきゃいけないことかもしれない。 そう思わせてくれたのが、西川美和さんの綴る物語だったのでした。やっぱり物語の力はすごい。『永い言い訳』、映画館で観たいなあ。
by reiko.tsuzura
| 2016-12-08 13:06
| 映画
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