|
通勤電車で三島月間、続いております。 『春の雪』では公爵家の息子、清顕と伯爵家の令嬢、聡子の めくるめく恋物語が展開されていましたが、 悲恋の末に清顕の命が散って、19年。 『豊饒の海』の第2幕『奔馬』は、 清顕に仕えていた飯沼の息子、勲の物語です。 勲は、自分が世界を変えられると夢想する19歳の青年。 夢は、“大罪を祓うため、とく神の罪を犯しても 忠心を行為にあらわして、即刻腹を切る”こと。 かつて清顕の親友であった本多は、その迷いのない熱い魂を見て、 勲は清顕の生まれ変わりだと勝手に確信します。 輪廻転生を描くにあたり、 時間軸にそって年老いてゆく本多は、物語全体のキーパーソン。 今回はいい感じに、世の中にもまれた中年となって再登場です。 超ロマンチックでおセンチな『春の雪』から一転。 今回は恋も夢もどこかへふっ飛んで、 未熟な青年が、うざったいほどの情熱で走りぬいております。 なので文体も、堅くて重くて小難しい。 前作の乙女モードをひきずっていると、 「わーん、私のハマってた少女マンガモードと違う~」状態です。 やっぱ女子的には、理想に死ぬ勲より、恋に死ぬ清顕がいいわ~。 ……と思いつつも中盤、テロ計画が未遂のまま潰されるあたりから ぐいっと引き込まれていきました。 ピカピカの理想で固められていた勲が、 オトナたちの都合と説教で汚されて、 生ぐさい現実にのみこまれていくシーンがいいね。 だって勲がまた、傷つけたくなるようなキャラなんだもん。 そして追いつめられた勲が、みずからの手できっちりと 運命を終わらせるラストの読み応えは、さすがでした。 勲は、文中ではしきりに“純粋な魂”と強調されていますが、 読んでいるかぎりでは、ただ若いエネルギーにあふれた19歳にしか思えません。 確かにその死に様はみごとだけど、 結局最後まで作者は、彼のことをただ若い愚かな青年としか 描いてないような気がするんですよね。 あとがきを読むと、みずから決着をつけた勲について、 「勝利を収めたのは勲だった」と書かれていますが、 私ははたしてそう言いきれるのかな、と思います。 勲が勝利を収めたのではなくて、 “純粋な魂”の妄想に取り付かれた本多が、 勝手に負けを感じただけの話なんじゃないかしら。 本多は“燃えて散る”命に強烈な憧れを抱いてるのに、 ひとり老けながら、それをただ見ているだけの人間だから。 いいよねぇ。これがきっと、ありふれた人の姿だよねぇ。 ないものねだりで、報われない。コンプレックスの塊で、ブレーキだけ上等。 だから本多が我を忘れてみっともないことをすればするほど、 ありふれた人間の私は、グッときちゃうわけです。 ホントは、“燃えて散る”のも“生き長らえる”のも、 同じくらいのパワーを使ってるかもしれないのにね。 読み終えてふと思ったのは、 きっと三島由紀夫の中には、清顕・勲タイプと本多タイプが 同居してたんだろうけど、 案外、本多タイプのほうが強かったんじゃないかしら、ということ。 この人の小説って、どんなに極端なテーマでも、 ものすごく分別があるから。 天才と思うけど、どうにも天然って感じがしないのね。 それがすごくレアで、おもしろい作家と思います。
by reiko.tsuzura
| 2005-03-09 23:26
| 本
|
ファン申請 |
||