|
『春、バーニーズで』 吉田修一著 “ふとしたはずみに、 もうひとつの時間へ。” この本の帯に、そう書いてありました。 主人公の筒井は、どこにでもいるような中年男性。 3年前に妻の瞳と結婚して、 いまは瞳の連れ子と義母とともに、聖蹟桜ヶ丘に暮らしています。 ただ彼が、どこにでもいる男性とちょっと違うのは、 10年も前に、年の離れた男性と同棲していたことがあること。 自分の息子の“本当の父親”が月にいちどだけ息子を連れていくこと。 なんというか、“ロマンチック”と“単なる美談”の スレスレを行くきわどい小説です。 でも、ハッとするような設定やセリフがいくつかある。 例えば「パーキングエリア」というお話。 ある日、通勤途中の車のなかで筒井はふと、 高校の修学旅行で日光に置き忘れた腕時計のことを思い出します。 そして会社への道をはずれ、携帯の電源を切り、 高速に乗り、その場所へ向かう。 ただ、それだけの話です。 ただそれだけなんだけど、3時間経ち、6時間経ち、 日が落ちて一日が終わる頃、それは取り返しのつかないことになる。 彼は言い訳を探すんだけど、 なんというか、もっと大きな何か、たかが言葉では表すことも できないような巨大の何かのせいだった と思うのです。 実際ね、こんなことする奴がいたら、 バカじゃないの、しっかりしてよ、って思いますよ。 結局筒井は何も言えず、瞳に電話をして、時計がなかったことだけを告げます。 そして瞳は、何も聞かずにそれを理解する。 というシーンを読んで私は、あぁいい関係だなぁ、と思いました。 筒井のやってることはバカげてると思うけど、 ひとりくらいはそんなバカげたことを理解してあげたい人がいてもいいし、 理解してくれる人に側にいてほしいと、私も思うから。 ただなぁ、その後の瞳の行動が、ちょっと過剰というか 理解ありすぎなんですよね~。それが残念! まぁそのへんは、好みの問題だと思いますが、 私は全体的に、もうちょっとあっさりしたストーリー展開のほうが好きかも。 でも帯に書いてあったとおり、この小説に描かれている 誰もが“ふとしたはずみ”で行ける“もうひとつの時間”は、 実際ちょっと、目の前の風景を変えてくれます。
by reiko.tsuzura
| 2004-12-17 22:57
| 本
|
ファン申請 |
||